コペルニクス


Copernicus

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作成日 2003/1/24

「Copernicus,Nicolaus 1473〜1543 ポーランドの天文学者。トルンに生まれ、クラコウ大学で医学を修め、さらにイタリアに留学して神学、天文学をまなんだ。牧師、医師として働きながら天文学を研究し、地動説に到達した。かれの考えは《De revolutionibus orbium coelestium(天体軌道の回転について)》(6巻, 1543)として、その死の直前に公刊された。かれは<宇宙の中心は太陽であって、惑星はすべて太陽のまわりを公転する。地球も惑星の一つとして太陽のまわりを公転する。月は地球の衛星として地球のまわりをまわる>とした。 しかし<曲線のうちで完全なものは円であり(古代ギリシアの考え━引用者注)、天体は神がつくったものだから、その軌道は円でなければならない>という思想から抜けだせなかったので、惑星の運動を完全に説明できなかった(この考えを改めたのはケプラー)。天動説に拠る当時のカトリック教会はこの思想を激しく非難し、かれの著書を多年にわたって禁書とした。エンゲルスの《自然弁証法》では、かれを評価していっている、<宗教の領域におけるルターの破門状の焼却にあたるものは、自然科学の領域ではコペルニクスの偉大な著作であった>。」

哲学辞典 森 宏一編集 青木書店 より


「ポーランドの天文学者。裕福な商人の子としてトルンに生まれ、早く父を失ったが、クラカウ大学に入学し、神学・医学・天文学・数学を学んだ。さらにボローニヤ・ローマついでパドバに学び、1506年ハイルスベルクで医者をした。その後フラウエンブルク聖堂の司教になった。そのかたわらフラウエンブルクの聖堂の天文台で観測を続け、惑星の動きを調べて精細に記録し、天動説のまちがいであることを知り、地動説を唱えた。天動説に対する批判は教会への反逆として迫害され、著書「天体軌道の回転について」は、完成後十数年ののち、ニェルベルクで公刊されたが、 手許にその本が届いたのは死の直前であった。いわゆる地動説を作りあげたが、地球が自転や公転する証拠は何一つ知らず、その学説にも欠点があったが、地動説をさきがけて提唱し、近代科学の出発点を作った功績は大きい。」

日本と世界の人名大事典 縮刷版 谷山 茂編 むさし書房版 より




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